Thursday, April 17, 2008

雨と曇りの間

最近仕事が多忙になりまた色々ゆっくり考える時間を失いつつあった。何も考えなくていいように意図的に仕事を増やしたのだけれど。

先日、俳優の萩原流行さんが自身と奥さんのうつ病について告白されました。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/292

実際に読んでみて、自分はやっぱり、自分に正直に生きなければいけないけれども、周りの理解や支えって大きいんだなぁと思いました。奥さんは、流行さんに迷惑をかけまいと、長い間自分のうつ病について話せなかったとありましたが、えらいなぁと思いました。どんなに愛妻でも、やっぱり流行さんは家に帰りたくなくなった、というのを読んで、やっぱり、普通そうだよね・・・と納得。自分もそれが恐くて言えないことが段々増えてきたような気がします。流行さんは自分がうつ病になって初めて奥さんの苦しみが分かった、とありました。私は、自分のうつ状態に対してまだ恥かしい、こんなに弱くてはいけない、という自責の念が消えないのですが、うつ状態の人に対して、もっと頑張ればいいのに、とかいう気持ちはさすがに起きません。急なパニック状態に陥ったり、抜け出せないような、頭が真っ白になるサイクルの苦しみや葛藤が、自分が体験して初めて分かりました。

日本の精神課医学はアメリカのものと比べ1世紀分遅れていると言われています。そこにある大きな原因は、やはり家族ではないかと思います。恥社会の日本では、自分の弱み、苦しみをさらすことは恥だとみなされます(もちろん家庭によって、地域によって、環境によってそれはことなりますが)。中にはカウンセラーからさえ、うつ状態から抜け出せないことの「意志の弱さ」を批判されることもあるようです。薬物療法は合う合わないがあり、副作用などもあるためなかなか手が出せない人も多く、そうしている間にも自分が友達や家族の重荷になっているのではないかという罪悪感から、人との関わりを少しずつ断つようになり、「死にたい」という具体的な思いがなくても、「死」に引きずり込まれるかのように、自殺へと至ってしまう人も、多いのではないかと思います。

アメリカの大学時代に、とても明るいマスコミ専攻の先生が、ある朝のチャペルの講演で、自分の長年のうつ病とOCDとの闘病、それが今でも完治したわけでもないことを告白されました。普段はとても明るく陽気な先生は大粒の涙を流しました。悲しいのではなく、その苦しみを思い出すだけでも、ガマンしきれなずに涙が出てくる、という感じでした。やはり彼も、奥さんの助けがあって自分の病気を日々乗り越えようとしていると語りました。でもやはり最後は自分が付き合っていかなくてはいけない病気です。脳で起きている障害なのでなかなか証明の仕様がなく、理解出来ずに放れて行った人も少なからずいたそうです。

冬が終わり、憂鬱になりやすい時期を乗り越えて一安心、と思いきや、恐い夢にうなされたり、眠りにつけない夜も突如現れ、深呼吸を覚え、適度に他人に寄りかかることも覚えつつ、さらに日々の葛藤は続く。どうしても、電車に乗ると、動悸が激しくなったり、眩暈がしたりする。そして、朝は大丈夫でなんともなかったのに、その日の午後のある「瞬間」に、うつの症状が内側から込み上げてくるときがある。それも、今は何とか自分で少しずつコントロール、というか、受け入れられるようになってきたように思う。でも正直、同じように、普段は明るく、急に不安定な状況に陥る、という親友がいなかったら、私はとっくに、負けていたかもしれない。

今日も雨が降り続く東京。雨のせいで不機嫌な人も増える。笑えるときに笑おう。誰かに優しくする余裕があるとき、躊躇せずに、手を差し伸べよう。今日はまた、晴れの日と同じく、新しい、未知な一日だから。

1 comment:

Anonymous said...

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